土俵の女人禁制…‼️

■古文書に初めて登場する「相撲」をとったのは女性?
神道では血を出すことは「けがれ」とされる。そのため、生理があることから女性を「血」と結び付け、宗教的な禁忌ととらえるようになったとされる。
大相撲でも土俵は「神聖」なものとされ、「女人禁制」とされてきた。だが、古文書を紐解くと、女性と相撲は深い関わりがあるようだ。
日本史上初めて文献に「相撲」が登場したのは『日本書紀』の雄略天皇期の部分とされ、そこに「天皇が采女(うねめ。宮中の女官)を集めて着物を脱がせ、褌を締めさせ、みんなの前で相撲をとらせた」という内容の記述がある。

■室町時代には尼僧が相撲興行で活躍?
『義残後覚』(16世紀成立)の中では、「比丘尼相撲の事」という項目で、室町時代の女性力士が紹介されている。
そこには、勧進相撲(営利目的の興行相撲。大相撲の源流とされる)に「比丘尼(びくに。尼僧)」が出場していたことが記されていた。

■江戸時代には「観戦禁止」も、女相撲があった
江戸期では、1781(天明元)年以降に両国・回向院の境内で勧進相撲が開かれたとされ、これが現在の「大相撲」の起源とされる。1909(明治42)年、この地には旧両国国技館が建てられている。
江戸時代は原則として女性の相撲観戦が禁じられ、許されても千秋楽のみだったという。
ただ、『江戸繁昌記』(1831年刊)などによると、当時の相撲では頭に血が上った相撲ファンが頻繁に乱闘騒ぎを起こしていたことが伺える。
一方で、この頃は女性が参加する見世物的な相撲や、女性同士が相撲を取る「女相撲」もおこなわれている。「女相撲」は戦前まで全国巡業もあったほど。東北や九州では今なお祭礼行事として残っている場所もある。
長らく禁じられていた女性の相撲観戦が許されたのは、1872(明治5)年だとされる。
明治維新と文明開化の流れの中、次第に相撲人気が下火になったこの時期、当時の相撲関係者が元土佐藩主・山内容堂に相談。これに山内は、女性への相撲観覧の解禁を説いたと伝えられる(朝日新聞2000年2月13日朝刊)。
1884年3月には明治天皇の臨席の天覧相撲が開から、やがて相撲は「国技」としての地位を得た。

■信仰か、伝統か、差別か... 議論なおも続く
相撲界で土俵は「スポーツ」の舞台であると同時に、神聖な“まつりごと“の場所とする「信仰」の対象とされる。
本場所初日の前日や部屋開きの際、立行司を祭主とする「土俵祭り」が執り行われる。そこでは立行司が、相撲の由来を述べる口上でこう唱える。
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清く潔きところに、清浄の土を盛り、俵をもって形となすは、五穀成就のまつりごとなり
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「女人禁制」のしきたりは、福岡・宗像大社の沖ノ島などに残る。各地には女性が参加できない祭りもあり、いずれも女性を禁忌とする価値観から生まれたものとされる

ハフポストより。

相撲協会が可哀想に思えるくらい
不祥事が続いてしまってますね^^;
土俵上に大量の塩を撒いたってのは、
邪気を払うって意味で、女性が土俵に上がったからでは、無いと思います。^^;土俵の上でケガをしないように清める時にもまきますし、ケガをした時にもその場を清める為にもまきます。
全てを、引っくるめて変なとり方は、して欲しくないですね^^;

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